たらればもしもしこんばんは。

これは私の愚見、妄想、自伝、7割方はフィクションです。パフォーマンスです。真に受けてはいけません。

お餅とチーズとオリーブオイル

 

これは飲みの席とかで話し込んだりすると、

必ずといっていいほど誰にでも聞いてしまうテーマなんですけど

 

 

僕の体があって僕の精神が宿ったこの"僕"は

どこまでが僕でどこからは僕じゃないんでしょうか。

 

 

たった今の状態の僕は間違いなく全てにおいて"僕"です。

そうあってほしいし、そうで然るべきです。

 

 

たとえば、

僕の胃腸、腎臓、膵臓脾臓、肺、心臓、などの臓器をぜーんぶ

他人のものと挿げ替えてしまいます。

その僕はまだ僕でしょうか?

 

人によっては違うという人もいました。

でも僕個人的にはギリギリyesです。

 

 

では、僕の体すべては僕のオリジナルをそのまま使って、脳みそだけ、なんなら記憶を司る部位、海馬の部分だけを他の人のものに変えたら?

 

そうなってしまうとnoですよね。

 

 

 

 

僕の僕たらしめるアイデンティティはどうやら脳みそにあるらしいです。

 

 

それならば、

 

僕の脳みそだけを取り出して、生命維持装置と少しの電気信号を与え続ける培養液の中につけたものをAとして、

 

僕の脳みそだけを取り出された残りの僕の体をBとします。

 

この場合、AとBはどちらが僕でしょうか。

 

 

これを並べた場合、

先の考えをそのまま飲むと、Aの培養液の中の脳が僕で、Bは僕だった何か、になります。

 

では、これを僕ではなく、身近な人間に当てはめてみましょう

 

 

A, 脳が培養液に浸かって生きている状態の母親(グロテスク) と、

B, 脳以外の死体の状態の母親

 

を目の前に並べられたら

 

 

僕じゃなくても、誰だって、泣きながらBを燃やして灰にして葬式をすると思います。

 

 

自分のアイデンティティは脳にしかない、他の部位に"僕"はいないと、思っていながら

自分以外のアイデンティティは自分から見えている部分に"求めている?"のです?

 

頭バグりそう。

 

 

 

難しいこと考えてると、おちんちんがかゆくなってきます。

 

ぽりぽりぽりぽり

チンッチンッ ブルンっ